2020年6月5日 米山奨学生 ジャイル・クリスティンさんに自己紹介をしていただきました。

大学:追手門学院大学 国際教養学部

出身:インドネシア

以下、自己紹介の内容

こんにちは、追手門学院大学の国際教養学部から参りましたジャイル クリスティンです。皆からジェイと呼ばれています。ジェイという名前はヘブライ語で神様の子や輝いている人を意味します。

両親(りょうしん)は私にキラキラ輝いている人に育ってほしいという願いを込めて名つけてくれました。

趣味は映画をみることや音楽を聴くことです。

私は、インドネシア有数の貿易港があるマナドという町の出身です。インドネシアは貿易(ぼうえき)や観光(かんこう)産業(さんぎょう)が発展(はってん)しているので、幼いころから、様々な国の人と交流をする機会がたくさんありました。親戚にもアメリカやヨーロッパなどで働いている人がいます。このような環境で育ったことから、将来はグローバルな企業や国際機関などで働きたいと考えるようになりました。

高校を卒業した後、私は外国、特に日本で両親(りょうしん)から離れて自立した生活をしたいと思い留学しました。なぜ日本を選んだかというと日本から多くの企業がODAと呼(よ)ばれる政府関発授助システムを利用して、インドネシアで多くの空港や港の整備などをしてくれています。それらの仕事を見ていて、日本人は仕事に対して真面目な人が多く、仕事に対するマナーや姿努は他の国の人よりも段然質が高いと思いました。それに、日本の文化は洗練(せんれん)されていて、よく組織された文化だと思います。日本人は昔から文化の大切さを理解しているので、発展(はってん)していく中(なか)でも文化(ぶんか)を破(は)壊(かい)せず保護(ほご)しています。だから、インドネシア人の私から見ると、日本は魅力的に感じました。その様な国で世界について学びたいと思い留学しました。

日本に来てからすでに4年間たちました。初めの1年9か月間は日本語学校で日本語を学びました。最初の6ヶ月はすごく苦労しました。日常的な会話はともかく、カタカナやひらがなさえ読めませんでした。特に外食をするとき、写真がないメニューを見ると本当に大変でした。アルバイトも人生で初めて日本でやり始めました。初めてのアルバイトはレストランでキッチンやホールで働きました。そこでは様々(さまざま)な人(ひと)と出会(であ)い、日本人(にほんじん)の行動(こうどう)や価値観(かちかん)を実際(じっさい)に学(まな)ぶことができました。現在、私は子供に英語を教える仕事をやっています。その経験(けいけん)から、子供(こども)の教育(きょういく)にも興味(きょうみ)を持つ(もつ)ようになりました。

私の夢は、平和(へいわ)で平等(びょうどう)な世界に貢献できる人材になることです。将来(しょうらい)は国連やunicefで働(はたら)きたいです。

その夢(ゆめ)を達成(たっせい)するために言語力は必要(ひつよう)不可欠(ふかけつ)だと思います。私はインドネシア語、英語そして日本語3つの言語が話せます。しかし、言語力はただのコミュニケーション道具です。この道具を上手に使うために、大学で専門的な知識や問題の発見・解決能力を身につけ世界の戦争や貧困、子どもの教育といった社会問題の解決に取り組みたいと考(かんが)えています。

その他(ほか)にも今年(ことし)は、視野を広げるために約(やく)一か月間(いっかげつかん)のオーストラリア短期(たんき)留学(りゅうがく)プログラムにも参加(さんか)しました。そこではオーストラリアの有名(ゆうめい)な大学で異文化交流や国際交流機関との交流(こうりゅう)などを体験しました。そのような経験(けいけん)から異文化への理解(りかい)を深(ふか)めることも夢(ゆめ)を実現(じつげん)するうえで必要なものだと実感(じっかん)することができました。

私の短所(たんしょ)は、一度にたくさんのことをすることが苦手(にがて)です。高校の時、映画監督として映画を作ったことがあります。監督として、セリフを準備したり、撮影場所を探したり、全て自分でしなければなりませんでした。その時、同時に複数(ふくすう)のことができずかなり時間がかかってしまいました。この経験から、人と協力して何かをすることの大切さを学びました。

また、私は何かに夢中になると時間を忘れて熱中(ねっちゅう)してしまいます。特に新しいことを学んでいる時や興味のあることをする時です。ですが言(い)い換(か)えると、一度始めると中途半端にしないで必ずやり遂げることができます。

以上(いじょう)が私(わたし)の自己(じこ)紹介(しょうかい)です。ご清聴(せいちょう)ありがとうございました

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